Ginger ale syndrome

主にアニメ・映画・マンガを観ながら読みながら思ったことを書き留めるところです。ロボットアニメが多いです。ネタバレ御免。

「亡念のザムド」(08-09, BONES 宮地昌幸監督)

BONES、そして緑の光といえば「エウレカセブン」を連想するわけですが、wikipediaによれば宮地昌幸監督は「エウレカ」にもしっかり関わっていたようで、さらに言えば「キングゲイナー」にも参加していたようですね。

たしかにASPスーツの飛び立つ際の光の環なんかはオーバーマンのそれにそっくりです。

 

物語序盤~中盤で主人公アキユキが身を寄せる郵便船ザンバニ号は「ラピュタ」でドーラ一家が乗っていたライガーモス号に重なるし、デカい銃を振り回す船長の紅皮伊舟にも対になるものを感じますね。

まぁそんな具合にBONESらしい鮮やかな色彩でジブリのような世界を形作った、というのが本作「亡念のザムド」の第一印象でした。

しかし世界観が一足飛びで語られてしまって、しかも終盤に至るまで明らかにされないので……。

 

新米郵便配達人の成長記録

 

◆アキユキの属性

主人公アキユキに与えられた使命は伝えること=届けることである。

そもそも「冷戦」と称して別居を続ける父リュウゾウと母フサを繋ぎ止める鎹(かすがい)であることを父から冗談交じりに言われており、物理的にも両者の間に位置することが示されている。

しかし人と人の間に位置するのみならず、彼にはフサの作った弁当をリュウゾウに届けるという、メッセンジャーとしての役割をもっていることがわかる。(これに対してはフサも自覚的であるため、テーブルに弁当箱置いてあるだけでアキユキが島に戻ったことを悟った)

それを象徴するように、尖端島を出たアキユキは偽装した国際郵便船ザンバニ号に身を寄せることとなる。(ただ尖端島の外側を行き来するだけならば、郵便船である必要はないし、国際郵便船だけが南北を自由に飛べるという設定も必然性を持たない)

 

アキユキはザンバニ号でテシクの尼僧天心様からザムドとしての訓練を命じられる。といってもその内容は郵便配達の手伝いで、当初はその意図を理解できずに不平を漏らしていた彼だが、次第にその中に自分なりの意義を見出していく。

その転換を表しているのが、「宛先不明便」の再配達の準備をするシーンである。

食事も後回しに、しかもそれまでのやらされていた仕事とは異なり自発的に取りかかったその作業は、差出人と宛先との間で彷徨っているメッセージを再び届けるということだ。

つまりここでアキユキは父母の間の鎹から、世界中の人々の間のメッセンジャーへとステップアップしているのだ。

もちろんこの時のアキユキはその途上、入口に立ったにすぎず、そこから積み重ねる「訓練」の数々を経てその役割を確かなものにしていく。

その役割は、世にとどまるヒルコをルイコンの流れに還すというザムド本来の役目と相似関係にあると言える。

 

しかし、正しい姿のザムドとして存在するためにはもうひとつ、「ヒルコとの共生」という別の成長を必要とする。

 

◆自己の内部にある他者、他者の外部にある自己

体内に取り込んだヒルコは宿主を石に変えてしまう。石は動かない=思考停止のメタファーだろう。

そうならないためには宿主が「生きたい」と強く願い、自我を保つことが重要である。

これはナキアミがアキユキに諭したヒルコとの在り方だが、後にフルイチが絶えない憎しみだけで石化を抑えていたことから、プラスにしろマイナスにしろ、思考を持ち続けることがカギとなっているようだ。

ナキアミの言葉は心武道の心得である「相手を拒絶せず受け入れ、自分の一部にする」という教えに概ね等しいと思われるが、心武道を学んでいたフルイチが憎しみの炎に身を焼くのは皮肉である。彼が右足のヒルコ、翻って自己と対話することなくアキユキを憎悪し続けたことが要因だろう。

 

話が逸れるが、第2話の副題「尖端島、思考停止」にあるように、物語序盤では尖端島に住む多くの人々が思考停止状態にあることが揶揄されている。(ゆえに北政府軍のヒトガタ兵器投下にも対応できず、多大な被害を受けることになる)

それは恐らく、北政府と南大陸自由圏が戦争継続中でありながら中立地帯として偽りの平和を享受していることを指すと思われるが、物語が進み「大巡礼」のシステムが明らかになるにつれ、そのシステムにただ身を任せるルイコン教徒たちにも向けられていることが明らかになる。

それは物語の枠組みが尖端島から世界へと移行・拡大したことと連動しており、前述のアキユキの世界観の広がりそのものでもある。その世界ではザムドですらもシステムの一部であり、ヒルコを還す単なるメディアに過ぎない。

 

話を戻すと、宿したヒルコと対話することがザムドとして生きる第一歩なのだが、このとき枠組みは宿主の体に相当する。その中で宿主とヒルコは意思の伝達を行い、宿主の生への願望をヒルコが聞き入れたときにはじめて、体の一部として定着する。

この一連の流れを経て、今まで両親の間、そしてハルやフルイチの間にしか存在しなかったアキユキは、自分が他者と対話を行う主体であると認識する。

そして、ただのメッセンジャーではなく、誰かに対して名前を呼び、言葉を伝え、手紙を送る一個の人間として自立するのである。

ゆえにアキユキはハルの名前を呼び、ヒルケン皇帝に名前を渡すことができた。

 

人があらゆるものの間に存在し、且つそれぞれが一個の主体であるという認識こそがザムドとなったアキユキの得たものであり、得難い真理なのだ。

 

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アキユキのザムドって一体何なのか?という疑問を筆者なりにまとめてみました。

簡潔に言い換えると「アキユキ少年の成長」という視点からこの作品を見てみましたってことですかね。

メッセンジャー性を兼ね備えているか否かが、雷魚やクジレイカではなく彼が皇帝の敵に選ばれた理由のひとつだと思うんですが……。

あとラストで宛先不明便を胎洞窟の周りに撒くシーン。

あれは他者から他者への手紙を拾わせることで、下にいた人々にメッセンジャーとしての役割を与えた=啓発したということだと思ったんですがいかがでしょうか。

 

これだけでは十分じゃないのは明らかなので(笑)余力があればもうちょっと別の視点から読み解きたいですね。

 

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