Ginger ale syndrome

主にアニメ・映画・マンガを観ながら読みながら思ったことを書き留めるところです。ロボットアニメが多いです。ネタバレ御免。

「機動戦士ガンダムUC」 第5話

 

特にネタバレらしいものもないですが、詳細は続きを読むからどうぞ。

 

率直に、とんでもない作品、と評した。

原作小説を読んでいる筆者としては、1話のクシャトリヤ対スタークジェガンの戦闘に代表される上質な映像や戦闘シーンを楽しむ作品だった本シリーズ。

劇場版として映像化されるにあたり、10冊に及ぶ原作をいかにまとめるかという課題を(まだ途中ながら)クリアした上で、制作側のこだわりを見せつけているだけでも十分に賞賛されるべきである。

 

一方で、(「08MS小隊」や「ポケ戦」あるいは「0083」のように)宇宙世紀の歴史に書き加えられるガンダムとして、特に印象的な「逆シャア」の直後に連なるということは単なる異物になりかねないという可能性を孕んでいた。

 

(たとえば機体や時系列の整合性という点で、「後付けの作品」は不和を指摘されることもある)

 

 

しかしこの第5話をもって改めて、「UC」がアムロとシャア、そしてブライトたちの延長線上にあるという物語性を認めることになった。

 

それを決定づけたのは、第4話から第5話にかけておおいに活躍する「ブライト・ノア」の存在だった。

ネェル・アーガマラー・カイラム、そしてブライトの登場は福井晴敏によるファンサービスだと、筆者は穿った決めつけをしていたのだが、アムロの写真に語りかけ、バナージの背中を押し、そしてはるか上空にかかるあの光を見たときのブライトの表情や仕草。

そこには確かに「これまでの物語を生きてきた」ブライトの心があった。

 

結末や「ラプラスの箱」の正体には賛否の分かれるところだが、「異物感」から本作を敬遠しているファンには、ひとまずこの5話を目指して視聴してほしい。

 

===

 

いよいよニュータイプとして開花したバナージ。

宇宙を背景に彼の目鼻がアップになるシーンは、取り調べを受けていたカミーユや、カミーユと出会った時のジュドーを彷彿とさせます。

バナージはあの時カミーユと同じような極地に至ったのではないでしょうか。

とはいえ、その位置はまるで対極にあるように思います。

目的や敵はハッキリしていても、人間をどこか宇宙的(=俯瞰的)に見ていたカミーユと、ネェル・アーガマとガランシェールを彼自身が繋ぎ止めたように、彼もまた周囲の人々につよく繋ぎ止められているバナージ。

この違いが、それぞれの結末に影響しているような気がします。

バナージのそばに肉体をもったオードリーがいたように、カミーユの傍らにフォウがいれば……ということでしょうか。

 

そう考えていると「新訳Z」との類似性も窺え、一方で「逆シャア」のやりなおしにも見える本作は、さしずめ「新訳逆シャア」といったところですかね笑

 

パイロットと機体を重ねて描くような映像演出、プル・トゥエルブを説得しようと向かい合うユニコーンなど、「モビルスーツ」が人間の肉体の延長であるという身体性の面でも、実はこの作品はきちんとトミノイズムを受け継いでいるのです。

 

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